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美術科   44期  鄭愛香 TAIGA KASAI + CHONG AEHYANG建築事務所

朝鮮大学校 美術科 李鏞勲

zoom対談 (2021年11月4日対談  2021年12月24日公開)

 

 

1992年 愛知県生まれ。

朝鮮大学校卒業

桑沢デザイン研究所卒業。

2016年 山本理顕設計工場勤務

2020年 カサイタイガ + チョンエヒャン

建築事務所 / KACH 共同主宰。

 

※以下 李:李鏞勲  鄭:鄭愛香

 

李:建築を志した動機、契機は?

 

鄭:朝大卒業後に入学した桑沢デザイン研究所は、一年目は総合デザインでグラフィック、プロダクト、スペース、ファッションの4分野を習うんです。2年進学時に分野選択をするんですが、一番惹かれたのがスペースデザインでした。理由は空間のデザインは総合デザインだと感じられたからです。例えば建築一つ建てるにしても家具というプロダクト、サインというグラフィック、制服というファッションが出てきますよね。将来的に色んなデザインを手がけたいなと考えていたので、スペースデザインが一番しっくりくるなっていうのと、単純に一番成績が良かったので(笑)、スペースデザイン専攻に進学したんです。スペースデザインの中にも大きくは建築、インテリア、家具の3種類があるんですけど、一番規模が大きい建築に凄い魅力と力を感じたことと、隈研吾事務所で長い間バイトしていたこともあって、2年の終わりには建築の道に進みたいと思うようになりました。

 

李:なぜ隈研吾の事務所でバイトすることになったのか?

 

鄭:代々先輩が隈研吾事務所でバイトしていて、引き継ぎで入りました。建築事務所でのバイトは主に模型制作です。建築は3Dなので2Dの図面だけだと良くわからない部分も多く、1/100スケールだったり1/200だったり、大事な納まりは1/1でも確認します。バイトで作っていた模型が実際にチームの力でひとつの大きい建築として建てられて、それが町の一部になって人々の暮らしに影響していく建築のプロセスに感動しましたし、こういう現場で働きたいと強く思いました。小さい事務所でもバイトしましたが、やはり大人数の事務所の方が活気もあってパワーもあって、願わくば著名な建築家の下で働きたいと思いましたね。ただ、ライバルが大学院卒たちなので、ちょっと無理かなーって思ってたんですけど、隈研吾事務所の所員さんと学校の先生に相談したら、自分のやる気次第でどうにでもなるからと言われたので、じゃあ頑張ってみようかな!と。3年時は課題の他に建築のアイデアコンペに応募したり、少しでもライバルたちと並べるよう全力で励みました。

一番の転機は、関東全大学・専門学校の代表者が卒業制作を出展する、レモン画翠主催の卒業制作展「レモン展」に出したことですね。5月開催なので、卒業しても就職せずにレモン展一筋で5月までずっとブラッシュアップを続けたら審査員長賞を頂きました。その賞をくれたのが山本理顕という建築家で、表彰式後に山本さんに「君はまだ就職してないの?」と聞かれて「してないです。」と答えたら、「ポートフォリオを持って事務所に来なさい。」と言われたので、良い紙でポートフォリオを刷りなおして面接に行ったら合格して入社することになりました。という経緯です。

 

李:ZOOM背景の写真は横須賀美術館?

 

鄭:そうです。

 

李:これ山本理顕なの?

 

鄭:はい、山本理顕作です。ZOOMアカウント  

が事務所のものなので。

 

李:あちらでは模型とかやってるの?

 

鄭:新入りスタッフが基本的に模型作業や3DCG制作、その上のスタッフたちで図面を描いて検討、プロジェクトリーダーが全て統括すると言う役割なんですが、私はなぜか入社してちょうど一年経った頃にプロジェクトリーダーにされてしまって、現場をもう2個見ています。4階建のコンクリート造の集合住宅と、鉄骨造のオフィスビルです。

 

李:プロジェクトリーダーは具体的にどう言う仕事をするの?

 

鄭:クライアントとのやりとりや、山本さんとの打ち合わせ、後輩スタッフへの模型指示、図面作図・チェックなど、プロジェクトを進めるための全てをまとめる役割です。建築は基本設計→実施設計→現場監理の順番で作っていくんですが、私がプロジェクトリーダーとして入ったのが2つとも現場監理からでした。現場に入ると、図面上じゃ分からなかったことが色々と問題となって出てくるんですよね。梁と干渉して排水管通りませんとか、この構造図通りだと施工が難しすぎて工期がプラス2週間かかるとか。それを工務店と調整して図面を書き直したり、意匠上も問題ないか模型で再確認しながら建物がちゃんと建つように監理する作業をしました。

 

李:それは全部わかってないとできないよね。

 

鄭:そうなんですよ!なので「こんな新人に任していいの!?」って、めちゃくちゃ不安だったんですけど。前任のプロジェクトリーダーが辞めてしまって。基本設計から担当していたスタッフが精神を患って辞職してしまい、他に手あきのスタッフもおらず、私に降って来たという感じで…

プロジェクトリーダーにされる前はずっとコンペをやっていたんですよ。

コンペを3個ぐらい先輩についてやって、終わって急にプロジェクトリーダーにされたので、実経験はそれが初めてでした。本来であれば先輩について現場を経験してからだと思うんですが、山本さんは「昔はみんな若い頃から現場出てたから。」みたいな無茶振りをされて、しかもクライアントがクレーマーなおばさま且つ山本さんとすごく仲が悪かったので、私も精神を患うところでした。

 

李:調べてみると山本理顕さんは偉い人みたいですね。

 

鄭:大御所と呼ばれている建築家の一人ですね。

 

李:TAIGA KASAI + CHONG AEHYANG建築事務所(kach)を立ち上げようと思ったきっかけは?

 

鄭:建築家の下で働く、いわゆるアトリエ事務所に入社する人は、独立志望がある人がほとんどです。建築家の下で修行して、経験を積めたら卒業して自分の建築事務所持つと言うのがセオリーですね。私もいずれは独立したいなという気持ちはあって、30歳まであと3-4年は山本事務所で経験積もうかなと思っていた時に、内装のリノベーションの仕事を知り合いから頼まれまして。ちょうど現場を一つ見終わったタイミングだったので、今度は自分でやってみたいと思ったのと、現在パートナーとしてやっている笠井(笠井太雅)にも住宅設計の話が来てたので、一人でそれぞれをやるよりも二人で力を合わせてやった方が良い作品が出来るんじゃないのかということで、二人で組んでやることになりました。そのうち結婚することになったので、正式に事務所としてやっていこうという流れで今に至ります。

 

李:それが矢中町ハウス(群馬県)?

 

鄭:そうです。矢中町ハウスが初住宅作品ですね。

 

李:あれ見たけど、今まであまり見たことがない建物だね。

 

鄭:建築家によって思想は様々で、私たち 

が師事している山本理顕は、住宅が閉       

鎖的なのは近代社会によって操作され

てしまった悪しき転換で、住宅という

ものは本来外部と繋がっていて(縁側

やマダン、サランバンなど)、社会の

一部として機能すべきだと常に提言し

ています。私も笠井も山本さんの思想

に共感し慕っています。

近年、核家族化が進み近隣住民との

関係も断絶されて、利便性は上がって

いても悪い方向に住宅が向かっている

気がしていて、もう少し開放的な家が作

れたらいいなと思いました。開放的にす

ることで、町そのものが生活の庭になる

ような、大らかで生き生きとした家にし

たいと考えました。

 

李:例えば矢中町ハウスはお客さんの要望でデザインが決まる? それともプレゼンして決まる?

鄭:それも様々で、今回のお施主はパートナーで

ある笠井の妹さん夫婦だったんですが、計画がな

い状態だったんですね。土地も決まっていない、

どういう家に住みたいか想像できないという感じ

だったんで、そういったケースはこちら側からま

ず1-2案ほど提案します。提案する前にお施主さ

んにヒアリングするんですけど、家族とどういう

関係を築きたいか、どのような生活をしたいかな

ど、細かく聞いて形を作って行きます。プレゼン

では模型と図面などで確認してもらい、1年ほど

何度も繰り返し修正しながらお施主と一緒に形を

決めていきます。

 最初からコンクリートうちっぱなしの建物に住

みたい、ワンルームのような平屋に 住みたいとか

具体的な要望がある方もいるので、お施主さんの

要望を取り入れて、コストも調整しつつ、最初か

ら最後までお施主さんと協力しながら家を作って

いくというイメージです。

 

李:(矢中町ハウスを)写真で見たカーテンが際立ってましたね。

 

 

鄭:あれは工場などでも使われる外部用のカ

ーテンを使用していて、地面に設置してあ

るフックによって固定できるようになって

います。開放的な庭を周辺環境から切り取

って住人たちのプライベートな空間にした

り、カーテンを開いて学校帰りの子供たち

の遊び場にしたり。使い方に合わせて性質

を変えられる庭を提案したところ、

お施主さんも「いいね」とのことだったの

で作りました。

李:山本理顕さんのページを見たら商業スペースが多かったですね。

 

鄭:山本さんはもうだいぶ前、1970年代から設計しているんですが、最初は住宅が多かったです。商業スペースも色々やっていますが、名作と言われているのは大学ですね。埼玉県立大学、はこだて未来大学、今も名古屋造形大学という私立の大学を手掛けています、私の実家のすぐ近くです(笑)。

 山本さんは横浜国立大学で、建築家を養 

成する大学院(Y-GSA)を創立したり、そ

こで学長をやったりと、アカデミック方面

にも力を発揮されています。建築を作るだ

けでなく教育にも尽力されている方で、山

本さんの思想は実作と研究によって強く構

築されているなと感じます。建築家と大学

教授を両立できている方って少ないんです 

が、山本さんはその第一線を走り続けてい

る方だと思います。

 

李:愛香のこれからのビジョンは?

 

鄭:桑沢でスペースデザインを専攻した動機でもある

「総合デザイン」を、今後やっていきたいなと思って

います。建築とは別の依頼で、ロゴを作って欲しいと

か、名刺やチラシのデザインをすることは度々あった

んですが、今度は建築という大きな空間を主として、

グラフィックやプロダクトデザインもやっていきたい

ですね。

 実際に美術科の同期の子が繋げてくれて、現在川崎

の朝鮮学校の建て替えの設計を手掛けているので、次

は念願の「総合デザイン」をやることになりそうです。

すごく嬉しいです。

 

李:川崎の朝鮮学校の設計について。

 

鄭:まず建築基準法に照らし合わせながらプランニングを行う基本設計があり、その後に素材や納まりの詳細を詰めて大量の図面を描く実施設計があり、その後に見積・金額調整、役所にOKをもらう確認申請という届出を出して、済証がおりたらやっと工事・現場監理に入ります。川崎はまだ基本設計の途中段階でして、学校側とプランニングを何度も何度も協議しているところです。

ICT化など新しい教育環境を整えて古い環境を一新しつつ、フレキシブルな使い方ができる学校にしたいというのが校長先生の要望で、「どういう教育を行って行きたいか」の部分を更に掘り下げています。もちろん空間もそれに付随した形になるので、どんな形状が良いか先生たちと一緒に模型を見ながら探っています。

 

李:朝鮮大学校 美術科での経験が今に生かされていることは?

 

鄭:朝鮮大学校に行って良かったと心の底から思っています。やっぱり高校卒業時はやりたいことがあやふやで、将来に     

ついて真剣に考えられない状態で、自分がこれからどう生きていくのかビジョンが全く見えない状態でした。

ずっと舞踊部でしたが、ものを作ったり絵を描くのが好きだからという理由で美術科に入りましたが、美術科に入って、自分は何かを作ることが本当に好きで夢中になれると確信しましたし、それを職として生きていけたら最高の人生なのではと、将来のビジョンと目標ができました。そしてクリエイティブを通して日本社会とウリ社会両方で世の役に立ちたいと強い思いが確立できたのは、朝鮮大学校で

学べたからだと思います。

 朝鮮大学校で揺るがない人生の目標を自身に

しっかり据えたので、桑沢(桑沢デザイン研究

所)でもブレずにモチベーションを保てました

し、卒業設計でも全力を出し切れましたし、望

んだ就職先まで 

行けたんじゃないかなと思っています。

 朝鮮大学校美術科で過ごした、在日朝鮮人社

会と日本社会両方で生きて行く意味とか、自分

は一体何がしたいのかとか、同期と真面目に話

しながら、いろんな面で自問自答しながら、そ

れを制作にもぶつけてガムシャラにやった2年間

というのが今の私の土台を作っているなと断言

できるので、入ってよかった、むしろ朝鮮大学校

に入っていなかったら今の私はなかったと思って

います。大半苦しかったですけどね。(笑)

いま自分がやっている仕事や生活を改めて振り返るとすごく満足していて、技術的にはもっとやれること、勉強不足だったり頑張んないといけない点は常に山ほどあるんですが、朝鮮大学校美術科時に据えた目標や土台があるので、それをアップデートしていく毎日が、生活を豊かに活性化してくれていると思っています。

 

李:世界的に有名な建築家で尊敬する人は?

 

鄭:篠原一男、カルロ・スカルパ、アアルト夫妻…たくさんいるんですけど、やっぱり山本さん(山本理顕)は一番尊敬していて、恥ずかしいので外では言ってないんですけど(笑)。

建築事務所に就職するまでは建築に詳しくなかったので、言ってしまえば入りが山本理顕なんですよね。と言うこともあって山本さんを一番尊敬しています。思想が詰まった著書たちもいまだに読み返しますし。

 他には山本さんの少し下の世代のSANAAですね。金沢21世紀美術館を手掛けた方です。妹島和世(せじま かずよ)と西沢立衛(にしざわ りゅうえ)と言う、女性と男性のユニットです。特に妹島さんが大好きなんですが、単純に女性建築家ってかっこいいですよね。あと作るものが本当に美しくて常に新しいんです。20年前に建てた建築を今年発表しましたと言っても全く見劣りしないデザインで、コロナが落ち着いたらスイスのロレックスラーニングセンターには必ず行きたいです。SANAAも山本さんと思想が似ていて、軽い開かれた建築が多いと思ってます。

 

李:桑沢デザイン研究所での卒業設計の開放的なデザインに山本理顕さんが反応した?

 

鄭:「僕の本読んだでしょ。」と言われました。めちゃめちゃ読んでました。山本さんの代表的な著書「地域社会圏主義」と言う学生に大人気の本がありまして、新しい地域一帯での暮らし方を提案した本なんですけど、私が卒業設計でやりたかったこととその本の内容がすごく合っていたので、教科書のように参考にした結果、山本さんの第一声がそれでした。審査員が決まる前から読んでいたんですが、審査員が山本さんと知ってさらに読み込んで反映させたので、かなり山本さん寄りはなったんですけど。

 

李:いろいろラッキーだったね。

 

鄭:そうなんです、いろいろラッキーでした!

  その他の審査員も全員山本ファミリーだ   

ったんですよ。

  事務所出身の人とか横国(横浜国立大学)

の人でして。

  山本さんが「いい」と言ってくれたので皆

「いい」と言ってくれましたね。

 

 

 

 

李:今日はどうもありがとう。そのうちビフォーアフターに出るような匠になってください。

 

鄭:あれにはみんな出たいとは思わないですね!(笑)

鄭愛香